ブログ「夢と希望と勇気のラビリンス」

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「夢がある事の幸せ」(日記風な随筆?)

 夢と愛が、最高の壊れ物だと悟った時、新たに生まれるのが「勇気」だ。

 自分は、働きながら作家を目指している。学生の頃から小説を書くのが好きだったので、完成した作品はいつも出版社に投稿している。元々は漫画家を目指していたが、段々と絵を描くのが億劫になって来たのか、いつの間にか漫画は描かなくなっていた。

漫画オタクを卒業した今では、まるで文学マニアのようでもあり、娯楽小説や古典、世界文学等を読み漁るようになってからは、活字好きである。

タレントや俳優、アイドルなどの芸能人には基本興味が無い為、実写の映画やドラマを観る事も少ない。テレビ自体をあまり観ない。やはり活字の本が好きである。

そもそも、映像や音声が無い方が、えげつないシーンや感情的になる場面でも、活字だけなら大したインパクトを受けないのでこちらの感情も搔き乱されずに済むのだ。

 しかし、自分が好きだった小説が映画化やアニメ化など、映像化されたとなれば例外にもそれを観てみる。原作とはまた話が変わっていてもある程度、共感は出来る。中には、作品によっては、これは原作と比べれば失敗作、駄作だなと思えるものもある。それもまた人それぞれの感受性がそう感じさせてもいるだろう。

ではそろそろ本題に入るとしようか。
作家志望である自分は、色々な本を読み、勉強しつつ、仕事の日は日中働いてお金を稼ぎ、様々な経験を積みながら、合間で小説を書く。

そのようにしてコツコツと作家への道を歩んではいる。しかし、作家デビューまでの道のりは如何なものか、それは自分にも他人にも知る由はない。作家に絶対なれると言う確証がどこにもないからである。

作家は、大多数の中から選ばれなければなれないからだ。現役の作家は、一度デビューするまでにも非常に多くの作品を書いたりしている。その前に、誰かの作品を沢山読んだりもしているだろう。作家になるには、新人賞を受賞して認められなければならない。そして一つの本が売れたからと言って誰もがすぐに飛躍出来る訳ではなく、作家としてずっとやっていけるかどうかもあるのだ。

書いて行く作品が次々と売れてベストセラーになったり、何度も映画化されているような売れっ子の作家は別だが、そうなるまでの道は、決して平坦なものではない。中には、自分の内なる世界に籠って心が孤独になり、気をおかしくして精神病院に入ったり、犯罪に手を染めてしまったり、最悪自殺をする、そんな作家や作家志望者もいる。

しかしそれは創作関係に携わった人間ばかりではなく、作家全てがそうではないから、これ以上言っては偏見になりそうなのでやめておくが、とにかく、険しい道筋でもあるのだ。広い砂浜で、パチンコの玉である自分がちゃんと発見されて拾って貰えるかどうかの、奇跡的な確率でもある。

数を増やせばその確率は少しずつなら上がって行くだろうし、遠くから眺めて輝いていたなら拾って貰えるだろう。それまでは、作家にしても画家にしてもシンガーソングライターにしても、作品が認められるまでは、普段は外で働いて御金を貯めなくてはならない。

大抵の場合、すぐに創作だけで生活費は稼げないし、食べてはいけないのだから。人間も夢だけでは、満腹にはならない。

そしてここで思う事がまだある。作家になりたいと言うのは、一つの大きな目標にして、夢である。強い希望や努力は、いつかは夢を実現させるとも言われる。他には、愛や勇気、そして最後には、運もそうである。

最終的には運も良くないといけないとか言われたりするが、運も実力の内ならやむを得まいが、やはり何よりも、努力ではないだろうか。努力に勝るものは無し、とも言う。

自分は、好きな作家がいれば全部読むようにしているし、世界的巨匠の作品な必ず読むようにしているのである。勉強になるからだ。ゲーテドストエフスキートルストイ、それからガルシア・マルケスなど、これら巨匠の作品なら尚更、線を引き繰り返し読む事で、人間の本質に迫る事が出来るからとても美味しいものなのだそうだ。そのように著書の中で仰る有名な作家や評論家がいたのだ。評論家にして漫画家でもあった青木雄二氏は、「ナニワ金融道」と言う大ヒット漫画を描く前に、ドストエフスキーの作品を熟読し、それで人間の本質が理解出来て、それがストーリー構成、キャラクター構成に大いに役立ったのだと言う。

作家の三田誠宏氏も、ドストエフスキーは完璧に美味しいと言っている。

読むのと書くのとは別とも言われ、読んだからすぐに書けるようになると言う訳ではないが、でもやはり読まなければ話にはならないのである。人間ならまずは言語を学び、言葉でやり取りするものなのだ。

日本人なら日本語と言う枠の中で、言葉を使って他者とコミュニケーションを取っている。どんなに優れた偉い人物だろうと、それは同じだ。文章も、他の誰かの文章を読んで初めて自分だけの文章を作り出す事が出来る。それと同じなのだ。やはり読まなければ、書けないのである。そして、働くなどして経験を積むのも作品を書く上でも良いネタになるのではないだろうか。飲み屋で会話するにも、小説を書くにも、それは話のネタとなるのである。作家志望や作家や脚本家でなくとも言葉の使い方が上手な人間は山ほどいるのだから、間でそのような人達から学ぶのも良い糧となるであろう。

ここで、作家になると言う夢を叶える事についてだが、やはり何よりも、努力と運であろう。感受性や論理的思考能力も磨かなくてはならないし、世の中や社会の事も知っておく必要がある。今時リアリティーなくしては誰も物語作品を読みたがらないだろうし、真実味があってこそ立派な創作品と言えるだろう。
それでも、作家になれる人間は、ほんの一握りだ。これをどう受け止めるかが、生きる上でもまた重要なポイントになるであろう。
自分はこうして、楽しみながら作家を目指している。本を読んだりするのも好きだし、仲の良い人と遊んだり話をするのも好きだ。他にも、水泳や書道や音楽鑑賞、DVD鑑賞など、色々な趣味を楽しんだり、ジムへ行くなど身体を鍛えるのも好きである。

文章の読み書きばかりが趣味なのではなく、他にも自分の楽しみは幾つもある。楽しかったり嬉しかったり悲しかったり苦しかったりすれば、時に自分が作家志望である事を忘れる事さえあるぐらいだ。
夢が叶うまでの間に、迷路のような森の中を探検し彷徨い歩くのも悪くない。いや寧ろそれもまた楽しい。作家を目指すと言う希望があるだけでも、嬉しく思えて来るのである。

そう言えば、自分の大好きな美味しい食べ物が食べられた時の満足感や満腹感、いざ何かを得た時の喜びは、一瞬で終わり、また次の何かを得たくなったりはしないだろうか。そう、生きている限り、完全に満足する事などなく、願い事が叶っても、また欲しくなる、それが人間なのである。

もしも、作家になる夢が、あまりにも早く叶ってしまったら、それはどうだろうか。早咲きで知識や経験がまだ乏しかったなら、次々と原稿の依頼を受けた時に、困ったりはしないか?途中で作品が書けなくなると、どうなるか。作家デビュー出来ても、その喜びは、束の間で、次に書いた作品が売れてヒットする事を目指さなくてはならなくなる。そう考えれば、作家になるのはある程度は遅い方が良い事はないか?

大器晩成と言う言葉もある。早く大成したせいで後が無くなるよりも、じっくり頑張って成功に近付く方が良いとここで私はそう考えるが、如何だろうか。
また、作家になれなくとも、文章の読み書きはしているから、読解力や文章力、洞察力は少しずつ身に付いては来ている。それを他で活かす事も出来る。

頑張ってもし夢が叶わなかったとしても、その時はその時である。新しく夢を見付けだす事も出来るだろう。
何だか、「作家志望と言うだけでも幸せだ」、そして、「夢があるだけでも幸せだ」と思えるようになって来た、今日この頃である。
最近は、フィクションばかりでなく、自伝(エッセイ)などのノンフィクションや、自己啓発本、心理学読本、雑学読本、これまでのニュースや新聞記事を纏めた本、また、合間では自分の心のケアの為にと、有名な精神科医によって書かれた精神医学の本なども読むようになった。それがまた楽しくて仕方が無いのだ。勉強になるとも思うと、より楽しく思える。
一つの趣味を仕事にしてしまうかどうかは、自分次第、そして世間次第なのだ。夢を叶える事ばかりが、人間にとって幸せな事なのか?いや、そうではなく、夢を抱き続ける事がまた幸せではないかと私は思う。生きている証である。それに、生きている内に、本当に全ての夢を叶えてしまったら、それこそ御仕舞いではないだろうか。
夢と言う名の樹は、枯れてしまったなら、また躊躇わずに摘み取れば良い。きっと新芽は生えるだろう。
 夢は、時には永遠の壊れ物である。そして、最高の壊れ物である。これは、夢だけでなく、「愛」も似たところがある。夢と愛こそ、勇気を生み出す為の、最高の壊れ物なのだ。
ユートピア(理想郷)は、やはり自分で創るものである。ユートピアは、きっと地上には存在しない。本当のユートピアも幸せも、人の心の中にあるのではないかと思う。





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